フェスのコアになる教育機関の必要性

柿崎:ビジュアル・デザインと言った場合、幅広い捉え方ができると思うのですが、コンテンツ産業の集積というインダストリアルなイメージよりももっと身近な生活の中にさりげなく取り入れられるものを想定した方がやりやすいかもしれないですね。携帯のアプリのデザインやWOWの鹿野さんが取り組まれているようなモーション・グラフィックス、様々なインターフェースのデザインなどですかね。

清水:デザインということに戻りますが、デザインといっても何デザインかわからないまま片付けられていってしまう現状がありますよね。本当は映像なりサウンドなり、それぞれについてデザインがあり、デザインという行為が所与としてあるはずなんですね。クリエイティブな行為として。それをもっとはっきりさせたほうがいいと思いますね。やっぱり柿崎さんが想定しているように、クリエイティブ分野のどれに絞ってやるのかということをはっきり言ってしまう必要がありますね。ゆるくまとめておいた方が例えばコンテンツをまとめる際に確かに楽ですが。よくありがちなデジタルコンテンツフェスティバルみたいにしてしまうと、とてもつまらない。単に「ARS ELECTRONICA」や「SIGGRAPH」の和製版みたいなものにしかならないんだとしたら、やらない方がいいですよ。こういうことが実際の社会の中でニーズとしてあるというか、インフラになるといったことをデザインのフェスティバルということを明確にした上で、しっかり伝えた方がいいと思います。

柿崎:ありがとうございます。今回想定しているフェスはテクノロジーをベースにしたものと考えているのですが、それに関してはどう思われますが?

清水:テクノロジーの中でもデジタルコンテンツのデザインと言った時に、本当にデジタルなものをデザインしている人というのはプログラマーなんですよね。昔はいわゆるSE的なプログラマーだったんですけど、今はデザインとしてプログラムをやっています。例えば平川紀道さんにしても、自分の作品としては映像を投影するものですが、例えば何人かと協力してやる場合には、サウンドや映像のプログラム、デザインのみを受け持ったりしているわけです。中間地点の形を整えるという意味でのデザインとでもいうべきものでしょうか。WOWの鹿野さんなども、パッケージとして映像のデザインをしている感じはありますね。

>柿崎:インタラクティビティについてはどうお考えですか?

清水:インタラクティブであるかどうかということは、もうあまり重要ではないですね。携帯アプリの進化でありますとかDSなどゲームの進化を見ても、もうインタラクティブであることが日常の中に溶け込んでいるということでしょう。リアルタイムであるかどうかも当たり前になってきている感がありますね。逆に、インタラクティブにしないという表現も出てきています。そういう意味でいうと、既に出尽くしているということは言えるかもしれません。インタラクティブもリアルタイムもテレコミュニケーションも、すべて現実のものになってしまいました。先ほど話題に出た、メディア・アートに関しても、表現自体が行き詰っていると思うんですね。かなり表面勝負になっている気がします。ワンアイディアがちょっと変わっているというような。

柿崎:そういう状況の中で、注目しているデザイナー、アーティストの方はいらっしゃいますか?

清水:そうですね、ゴラン・レヴィンや大御所ではケイシー・リースとかですかね。彼らでさえもう古いかもしれない。Processingが出た頃だったら良かったかもしれませんが、もう当たり前になってしまったので。テクノロジーが普及してしまって、出てくる作品も同じようなものになっているのはつまらないですね。アウトプットが似たようなかたちでパッケージ化されてしまっているというか。フェスもパッケージ化されてしまうと同じものになってしまってつまらないでしょう。もっと何か違和感のあるものを集めるとメディアの使い方としては面白いかもしれないですね。ただ、産業振興にはならないかもしれないですが。

柿崎:産業振興は結果であって、今考えなければならないのは仙台という都市がどういう都市になっていくことが良いのかという議論がまず必要なのだと思います。ですから、清水さんが言っている違和感のあるものというのは、都市に関するクリエイティビティという点で実は重要なキーワードかもしれない。

清水:確かにデザインの持つ機能性とアートの持つアバンギャルド性が混在するフェスは面白そうです。まず、サウンド・デザインとビジュアル・デザインについては、表現の方向性として同じなので一緒に組み合わせるには相性はいいと思います。サウンドもクラブ系一色というよりは、大友良英のような方向性もあると面白いですね。

柿崎:仙台の地元でそうしたサウンド・デザインやビジュアル・デザインに取り組んでいる団体や個人の活動についてはどのようにとらえていらっしゃいますか?仙台にはクリエイティブ系の専門学校や大学院もありますが。

清水:そうしたクリエイティブ関連の学校の卒業生は、必ずしも中央へ出て行かなくてもいいと思います。デジタルコンテンツに関して言えば、ネットを使えばどこでもできるわけですから。

柿崎:それでも実際問題として人材が地元に定着しないというのはどういうことでしょうか?

清水:それは、単純に勉強する場所がないからですね。やはり芸術大学がないと厳しいと思います。東北芸術工科大学がありますけど、山形ですし、デジタル・コンテンツの教育に特化しているかと言ったらそうでもない。やっぱり宮城県にないのが痛いですね。それがあるかないかで大分違うと思います。

柿崎:地方でいいますと、IAMAS(情報科学芸術大学院大学 / 岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー)がある岐阜県などはその辺りをうまく取り組んでいる気がしますが?

清水:コンテンツ産業の集積というものを本気で考えた場合、大学を中心にした取り組みは必須だと思います。芸術大学があるということは、要は外からアートやデザインを学びたい人が来るということです。仙台ぐらいの規模の町だったらそういう大学を作ればきちんと勉強できる環境を作れると思います。IAMASについては、岐阜県が産学官で教育と産業振興のサイクルを生みだそうと考えた訳です。教育機関を作って、あとはインキュベーションセンター、つまり卒業生がそこで会社を起こせるような場所を作りました。しかし、それでも産業振興までのサイクルを作っていくのはなかなか難しい。他方、IAMASが教育機関として成功したのは、産業振興のシステムだけで考えずにアートの教育機関であることを明確に打ち出したからでしょう。