ローカリティ、触発、インターフェース

「非日常的な祝祭空間であるフェスの場で参加した人々は何を共有できるのか」フェスを考える際の最もコアになる部分にあるこの問いかけに対して、過渡期の時代のコミュミケーションに関する問題、アーティストやクリエーターと呼ばれる人々の最新のテクノロジーへの挑戦、そしてインターフェース・デザインがもたらす変革というトピックで、鹿野氏に話を聞いた。

新しいローカリティは世界と直結する(1)

柿崎:FesLabはフェスを実施するための調査研究で終るものではなく、鹿野さんと一緒に取り組んでいるlogueともリンクするところがあります。つまり仙台のクリエイティビティの可能性を探る活動の一環と言った方がいいかもしれません。logueも一つの仕掛けですが、イベント主体の仕掛けというところです。logueはクリエイターの紹介やネットワーク作りの仕掛けですが、Feslabが実施しようとするフェスには、そうしたクリエイティビティも含めた都市の見えざる可能性を地域経済や産業と結びつけて行くモデルを探るミッションもあるわけです。

鹿野:なるほど。実際につながりを動かしていく起爆剤というか起動させていくための仕組みですね。今、クリエイティブ・クラスター等でも問題になっているのが、文化事業的なことが都市にどのような影響を与えるかということ、そして与えることが果たしていいことなのか、主に経済効果に関する事が議題になる事が多いですよね。すなわち、直接ビジネスにならないものをどうやっていくのかというところが一番大きくて、どんなイベントでもそこが一番悩ましいところではないでしょうか。今回のフェスに関しても有料にしようと考えているのですね?

柿崎:はい。文化振興をビジネスにつなげるモデルとして機能するフェスにしたいと考えています。フェス内のイベントによっては無料のものもうまく組み合わせていくことを想定しています。

鹿野:会場についても想定を始めているのですか?場所代も結構大きい問題ですよね。

柿崎:確かにそうですね。できるだけ公共の施設を使うケースを想定しています。そこをクリアすれば入場料無料もあり得るわけです。そうした具体的な運営に係る問題も検討を始めていますが、今はまだフェスのコンセプトについて考えることが重要な課題になっています。

鹿野:こういうイベントや町づくりというものは、基本的には仕掛けている人の個人的な嗜好が、あまり薄められない方が良いのではないかと思っています。そこに住む人の個人的な想いが、街づくりに反映されていくような。逆にまじめな目標をきっちりと固めすぎるのは、なかなか継続が難しいのかなという印象を持っています。
 logueでやりたいのは、そういう人たちがもっと発言したり行動したりできる場を作って行くということですが、FesLabによるフェスの企画はその次のステップだということですね。クリエイティブな人達が求めているものを自然に導きだすような仕組みができればいいのかなと思っています。例えばそのフェスをやるにしてもどういう人を呼ぶかということは重要なことではないでしょうか。

柿崎:そうですね。そこはFesLabとしても議論しているところです。

鹿野:僕は「こういう人を呼ぶべきではないか」という事をある程度、主催者側だったり、仕掛ける側が仮定してしまっていいのではないかと思っています。「街づくりのために、こういう人が来るべきだ」というよりも、パーソナルなモチベーションというものが、街を引っ張って行っていいのかなと。

柿崎:それはもっともな話です。結局、あるべき論から始まってしまうと、それを想定している人達が多いわけですから他でやっているものとどうしても似てきてしまうということがあります。

鹿野:そうなんですよね。あるべき論でいくとどうしてもたくさんの人の意見を聞かなければならないので、特徴のないものになっていくと思うんですよね。よく知られている人とか、外れがない人とか、という選定になってきますと、フェス自体の特徴が薄れていくと思うので。そこはもうある程度主催者側の自由があっていいと思います。もちろん最低限のルールはあると思いますよ。街の文化を誘導する可能性があるかもしれない人を、最低限何人か入れるとか。そのキュレーションが難しいところなんでしょうが。

柿崎:鹿野さんはwowlabを仙台を拠点に立ち上げて活動していますが、今後も活動を展開していく時に仙台という都市に求めるものは何かありますか?

鹿野:仙台に拠点を置いていて、自分が作品づくりをするために何か障害になっていると感じることは、ほぼありません。もちろん「仕事としてもっと多様な仕事があれば」、「もっとバジェットが大きい仕事がたくさんあればいいな」という市場的な希望というか要望はありますが。 都市に求めるものとしては、展示などを行う時に公共的な施設を簡単に使えるとか、クリエイティブなことに関心が高い街であってほしい。という願いはあります 6月に開催されたカルチュラル・スタディーズに関するシンポジウム「cultural typhoon 2008 in Sendai」で、「ローカルの創造性」というセッションに参加したのですが、この時代のローカルというのは、地域というよりも、コミュニティのローカル度のほうが重要なのではないかと思いました。「生活圏」という考え方がlogueでも話題になりましたが、自分たちを中心とした行動範囲ということが現在のローカルというものになっていて、それがそのまま地域と完全にリンクしている状態ではないと。

柿崎:もしそこに可能性が見いだされるとすれば、個人の生活圏がちょっと拡大したり縮小したりする場合に、地域へ与える刺激というか触発のポイントのようなものがあれば地域と地域のコミュニティの間で何か生まれるのではないかということです。ローカル性というものが固定的なものではなく、地理的な制約を越えて流動的なものになっていくのかなと。