普遍的なテーマと最新のテクノロジーの融合(wowlabのクリエイティビティ)

柿崎:FesLabで想定しているフェスはエレクトロ・ミュージックとビジュアル・デザインの分野という、両方ともテクノロジーをベースにしたものを取り上げています。そしてフェスをただ定期的に開催されるその時だけのお祭りにはしたくないので、学術的にも技術的にも成果がきちんと蓄積されていくフェスにしたいと考えています。そこでお伺いしたいのですが、wowlabを立ち上げて様々なビジュアル・デザインのプロジェクトを行っている中で、テクノロジーの進歩と人間の関係についてどう考えていますか?

鹿野:wowlabでは「今しか出来ない事、我々にしか出来ない事」ということ目標にしています。技術と感性のどちらにも偏らず、常にニュートラルな視点で作品を作りたいのです。結局それは「知りたい事を作る」ことに繋がると信じています。例えば、なぜ「色」や「光」が認識できるのか、作品によって心が動かされるのは何故か?とか。そう考えるとテーマは自然に普遍性を持ったものになります。それを今私たちの目の前にある技術を使って表現するのです。

柿崎:普遍的なテーマと最新のテクノロジーを融合させていくというwowlabの考え方はとても魅力的です。FesLabで想定しているフェスも基本的には人間と技術の関係がテーマになると考えています。クリエイティビティが最大限に発揮されるテクノロジーとの関わり方、もしくは人間が変化していくためのテクノロジーとの関係性といったものです。

鹿野:自分たちの存在そのものや意識的なものをテーマにする限り、どんな時代でも作品を作る意義があると思うのです。逆に、「今こういうCGのソフトがあるから、こういう表現をしたくなった」では危ないということです。先月、横浜の「エレクトリカル・ファンタジスタ2008」で展示した「Polar Candle」という作品も、15世紀くらいからある「だまし絵」を最新の映像表現で再認識するものでした。どんな時代でも、表現者は知りたい事に向かって「表現」を使って挑むわけですよ。それが人によって、テキストだったり絵だったり、写真だったりするわけです。
 個人的な意見になってしまいますが、芸術作品は「記憶を共有するための装置」だと思っているんです。人と人をつなげるために、直接機能しているわけではないのですが、時代と地域を越えて人々の記憶を繋げている。考えようによってはコミュニケーションのプラットフォームではないかと。

柿崎:表現の追求としての最新テクノロジーへのチャレンジという行為がコミュニケーションのソースとして社会に還元されていくということはとても重要な事だと思います。

鹿野:「完璧に僕の情熱の全てを形にしました!」という作品より、「我々の知りたい事は、こういう事なのです」といったメッセージの作品の方がwowlabに適していると思っています。それが、チームで表現するメリットなんですよ。みんなの疑問だったりモチベーションを共有して、それを更に外に広げるための装置ということになります。
 だからフェスも例えば、フェスとして完璧なものというか、全てが完璧である必要はないかもしれませんね。抜け目というか隙があった方がいいと思います。

柿崎:wowlabに可能性を感じるのはまさにそういう点であって、僕が技術と人間について日々考えていることとほぼ同じであることに共感したというのが正直なところです。結局、技術的なものは機能にすぎないというか、それに刺激されて人間がどのように変化していくのかというところの方が重要に思うわけです。

鹿野:そこでデザインが必要になるのではないかと思うのです。デザインは目的を達成する為の計画や設計だけでなく、芸術を複製可能にするための技術でもあると言えます。芸術を経済システムに取り込むためには欠かせないもの。すなわち現代社会に置いて、芸術を実現する為にはデザインが必要ではないかと。